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風景写真から「情報」と「金」を差し引くと何が残るか

  • 執筆者の写真: 松龍
    松龍
  • 7月3日
  • 読了時間: 5分

風景写真には、わかりやすい魅力があります。

美しい山。

夕焼けの海。

雲海。満天の星。

有名な滝。

SNSで何度も流れてくる、誰もが一度は行ってみたい場所。


アイスランドの滝


そうした景色を前にすると、私たちはほとんど反射的に「きれい」と感じます。

写真を撮りたくなる。誰かに見せたくなる。

自分もそこに行った証拠として、画像を残したくなる。

でも、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。


その写真から、「情報」「お金」差し引いたら、何が残るのでしょうか。


「情報」とは、いつ、どこで、どんな天候で、どんな設定で撮ればいいのか、という知識のことです。今は、撮影地も、時間帯も、レンズも、構図も、現像の方向性も、かなりの部分が共有されています。


「お金」とは、機材、移動、宿泊、時間の余裕などです。遠くへ行けること。高価な機材を持っていること。撮影に何日も使えること。


これら自体は悪いことではありません。しかし、それだけで写真の強度が決まってしまうなら、写真は作品というより、条件の勝負になってしまいます。


絶景写真が悪いわけではありません。

自然の美しさを前に感動すること。

遠くまで行き、光を待ち、良い一枚を撮ること。

それは写真の大きな喜びです。

写真を始めた多くの人が、そこから世界を見る楽しさを知ったはずです。


ただし、作品として考えるなら、もう一つ問いが必要になります。

その景色は、自分の何を運んでいるのか。


Abox Photo Academyでは、作品を考えるためのフレームワークとして Artist’s PentaGuide を使っています。

作品の中心には、Personal Reason、Theme、Motifがあります。

Personal Reason は、なぜ自分がその問いを持つのか。

Theme は、作品を通して鑑賞者に投げたい問い。

Motif は、その問いを運ぶための具体的な器です。


この考え方で見ると、風景写真における「山」や「海」や「夕焼け」は、ただ美しい対象ではありません。それが自分の問いを運ぶMotifになっているかが重要になります。


たとえば、同じ海を撮るとしても、そこにある問いは人によって違います。


ある人にとって海は、故郷の記憶かもしれない。

ある人にとって海は、死者との距離かもしれない。

ある人にとって海は、時間の果てしなさかもしれない。

ある人にとって海は、観光地として消費される自然への違和感かもしれない。


写真に写っているものは同じでも、何を問うために撮っているのかが違えば、作品はまったく別のものになります。




一方で、私たちは普段の生活の中でも写真を撮ります。

通勤途中の光。

部屋の壁に落ちた影。

雨上がりの道路。

窓に映った反射。

なんとなく気になる形。

理由はわからないけれど、つい撮ってしまうもの。


雨上がりのObidosの石畳
雨上がりのObidos

こうした写真は、いわゆるスナップショットです。

スナップショットには、撮った瞬間には明確な意味や問いがないことがあります。

「なぜ撮ったのか」と聞かれても、うまく説明できない。


きれいだったから。

気になったから。

なんとなく。


でも、それを「意味がない写真」と切り捨てる必要はありません。


むしろ、そこにはまだ言葉になる前の自分の反応が現れている可能性があります。


なぜ、自分はこの光に反応したのか。

なぜ、同じような影ばかり撮っているのか。

なぜ、人ではなく、人のいない場所に惹かれるのか。

なぜ、華やかなものではなく、少し寂しいものにカメラを向けるのか。


スナップショットは、Themeがない写真ではありません。

Themeがまだ発見されていない写真です。


大切なのは、撮った後に見返すことです

自分が何に反応していたのかを探すことです。

そこには、自分でも気づいていなかったPersonal Reasonが隠れているかもしれません。


風景写真とスナップショットは、一見すると反対のものに見えます。


風景写真は、特別な場所へ行く写真。

スナップショットは、日常の中で撮る写真。


風景写真は、情報と計画で撮る写真。

スナップショットは、反応と偶然で撮る写真。


でも、作品として考えると、どちらにも同じ問いが生まれます。


自分は、なぜそれを撮るのか。

見たことのない景色は、もうないのかもしれません。

少なくとも、誰も見たことのない場所を探すことは、昔よりずっと難しくなっています。

けれど、見たことのない関係は、まだ作れます。


自分と風景の関係。

自分と日常の関係。

自分と記憶の関係。

自分と社会の関係。

自分と、撮ってしまうものとの関係。


写真の新しさは、もう「誰も見たことのない場所」にはないと思います。

むしろ、誰もが見ているものを、自分だけの問いとして立ち上げることにあります。


絶景を撮ることも、スナップショットを撮ることも、どちらも入り口です。

ただ美しいから撮る。

なんとなく気になるから撮る。

それで終わらせずに、そこから一歩進んでみる。


なぜ自分は、この景色を必要としているのか。

なぜ自分は、この光に何度も反応するのか。

この写真は、自分のどんな問いを運んでいるのか。

その問いが立ち上がったとき、写真は単なる記録や到達証明を超えて、作品へと変わっていきます。


絶景のあとに残るもの。

それは、場所の情報でも、機材の性能でもありません。

最後に残るべきものは、作家の視線です。

そして、その視線が生まれた理由です。

風景写真とは、景色を見せる写真ではなく、世界と自分の関係を見せる写真なのかもしれません。




Abox Photo Academyでは、こうした「なぜ自分は撮るのか」を、Artist’s PentaGuideを使って言語化し、作品として立ち上げていくプロセスを学びます。写真をきれいに撮るだけでなく、自分の問いを作品に変えていきたい方は、ぜひ講座やワークショップで一緒に考えてみてください。



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