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生成AI疲れしていませんか

  • 執筆者の写真: 松龍
    松龍
  • 6月26日
  • 読了時間: 5分


ここ数年、AIとの関係はずいぶん変わった。

最初は、すごく能力の高い相談相手だった。


考えていることを投げる。

言葉にならない違和感を出してみる。

ひとりで考えていると堂々巡りになることを、対話の中で少しずつほどいていく。

現実には存在しない、複数の能力を持ったモデルをたった数単語ならべると担ってくれた。

その意味で、生成AIはとてもよい壁打ち相手だったと思う。


生成AIでの写真
生成AIで作成した写真

AIは相談相手から、成果物をつくる存在になった<


けれど、今のAIはそれだけではない。

相談相手であるだけでなく、指示をすると成果物をつくってくれる。


文章を書く。

画像をつくる。

構成案を出す。

企画書を整える。

場合によっては、人間が一日かけてやるようなことを、数分で出してくる。

人間の生産力と比べると、体感としては100倍くらいある。

これは、すごい。

でも、すごいからこそ疲れる。


100倍の生産力を、人間が確認する疲れ


なぜなら、AIが100倍の速度で成果物を出してきても、最終的な責任を取るのは人間だからだ。


AIがつくったものを読む。

確認する。

おかしなところを見つける。

違和感を拾う。

方向が違えば、もう一度指示を出す。

すると、また大量に出てくる。

また確認する。


気がつくと、自分はつくっているのではなく、検品している。


これは、かなり疲れる。


もちろん、生成AIを否定したいわけではない。むしろ、これからの制作環境の中で、AIは避けて通れないものになると思う。


ただ、ここで少し立ち止まりたい。


生成AI疲れは、つくりすぎる疲れかもしれない


そもそも、何をつくるのか。

なぜ、それをつくるのか。

それは、自分にとってどんな問いなのか。


ここが曖昧なまま、生産だけが速くなると、疲れる。


たくさんできる。

速くできる。

見た目も整っている。


でも、自分の中のどこにも接続していないものが増えていく。


生成AI疲れを感じるとき、それは単にAIを使いすぎているということだけではないのかもしれない。


自分の問いに戻る前に、つくりすぎている。

自分の違和感を確かめる前に、成果物にしすぎている。

まだ旅に出ていないのに、答えだけを出そうとしている。

そういう疲れなのかもしれない。


作品制作は、Personal Reasonに戻ることから始まる


Abox Photo Academyで考えているPentaGuideでは、作品制作の出発点に Personal Reason を置いている。


Personal Reasonとは、簡単に言えば、

なぜ自分はそれに引っかかるのか、ということだ。


なぜ、その風景を見てしまうのか。

なぜ、その物が気になるのか。

なぜ、その出来事がずっと残っているのか。

なぜ、そこに違和感があるのか。

自分は誰なのか。


まだ作品ではない。

まだテーマにもなっていない。

でも、自分の中に確かに残っているもの。


作品制作は、そこから始まるのだと思う。


Personal Reasonに向き合うとき、そこにはまだ生産は必要ない。

すぐに形にしなくてもいい。

すぐに成果物にしなくてもいい。


むしろ、まだ形にならないものを、形にしないまま見つめる時間が必要になる。


問いを運ぶMotifを探しに行く


Personal Reasonに向き合っていると、少しずつ問いが立ち上がってくる。


その問いを、どのように作品として運ぶのか。

そのために必要になるのがMotifだ。


Motifは、単なる被写体ではない。

自分の問いを運んでくれるものだ。


街を歩く。

旅に出る。

物を見る。

光を見る。

人の動きを見る。

本を読む。

映画をみる。

どこかで、自分の問いを運んでくれそうなものに出会う。


旅のお土産のように、Motifのアイディアを持ち帰る。

それを少し試してみる。

うまくいかない。

でも、何かが残る。

もう一度見る。

もう一度試す。


この時間は、生成AIと労働している時間とは違う。


もっとプリミティブな行為だと思う。


人間が、自分の身体で世界に触れる。

自分の目で見る。

自分の中に残った違和感を、もう一度確かめに行く。


AIは、すでにあるものを高速に組み替えることができる。

でも、自分がなぜそれに引っかかっているのかまでは、代わりに生きてくれない。


速くつくることだけでは、作品にはならない


速くつくること。

たくさんつくること。

整った成果物にすること。


それらは大事だ。

AIを使うことで、試作の速度も上がる。

考えを仮に形にすることもできる。

自分ひとりでは到達しにくい表現に触れることもできる。

複数の人格や能力を持ったAIにサポートしてもらうこともできる。


でも、それだけでは作品にはならない。


自分のPersonal Reasonから問いを見つける。

その問いを運ぶMotifを探す。

どのRuleで試すのかを考える。

どのStyleで立ち上げるのかを選ぶ。


その関係の中で、作品は少しずつ強度を持っていく。


PentaGuideで考える作品制作とは、成果物を増やすことではない。

Personal Reason、Theme、Motif、Rule、Styleの関係を、制作を通して確かめていくことだ。


だから、作品制作には時間がかかる。迷う。戻る。試す。また戻る。

でも、その時間の中でしか見えてこないものがある。


生成AI時代だからこそ、自分の問いに戻る


生成AIの時代だからこそ、人間はもう一度、自分のPersonal Reasonに戻る必要があるのだと思う。


速くつくる前に、なぜつくるのか。

たくさん出す前に、何に引っかかっているのか。

整える前に、その問いは本当に自分のものなのか。


少し止まってみる。

生産を止める。

AIへの指示を止める。

自分が何に引っかかっているのかを見つめてみる。

そして、その問いを運んでくれるMotifを探しに行く。


それは、遠回りに見える。

でも、作品制作においては、その遠回りこそが大事なのだと思う。

作品は、速くつくるものではなく、自分の問いを、世界の中で見つけ直す行為なのだから。


それは、とても苦しいが心地よい。



生成AI時代に、自分の問いから作品をつくる。


Abox Photo Academyでは、Personal Reason/Theme/Motif/Rule/Styleから作品制作を考えるPentaGuideを学びます。



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