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KYOTOGRAPHIE 2026レポート|写真作品は展示で完成する

  • 執筆者の写真: 松龍
    松龍
  • 4月21日
  • 読了時間: 6分


国内最大級のフォトフェスティバルとしてのKYOTOGRAPHIE

 カメラメーカー主導の公募展が少しずつ縮小していくなかで、国内のフォトフェスティバルとして、KYOTOGRAPHIEはやはり大きな存在だと思う。写真作品を考えている人なら、一度はリファレンスしているだろうし、実際に足を運ぶ意味のある場でもある。

 今年も行ってきた。日帰りの弾丸だったけれど、それでも十分に行く価値があった。


京都は混む。だからこそ、絞って見るのがいい

 京都は混んでいる。移動も食事も、それなりにストレスがある。行くなら平日しかない、というのは本当にそう思う。

 しかもKYOTOGRAPHIEは、展示会場が市内に散らばっている。日帰りでどこまで見られるのか、最初は少し不安だった。でも、実際に回ってみると、この「散らばっていること」自体がむしろよかった。全部を見ようとしない。目的を絞る。そのぶん、一つひとつを深く受け取る。

 それは、35mm F2の単焦点だけで旅に出るのに少し似ていた。

 選択肢を減らすことで、かえって解像度が上がる。今回のKYOTOGRAPHIEは、まさにそういう体験だった。


山本瑛美、sUm「泡沫に馳す」

すぐに理解できないからこそ、長く残る


泡沫に馳す

 Aboxを卒業した二人のユニットが、KG+で京都に挑戦していた。それだけでも嬉しかったが、作品そのものも強く印象に残った。

 本作は、書き下ろしのオリジナルストーリーを軸に、二人の写真家がそれぞれの世界観や感性を交錯させながら展開していく作品だった。

 エッジが立っていて、簡単には「ああ、分かった」とならない。けれど、その分だけ、あとから長く残る。作品には、すぐ理解できる気持ちよさとは別の強さがある。この展示は、まさにそのことを示していたように思う。



柴田早理「Dotok Days」

空間設計とプリントが、テーマとモチーフを支えていた


Dotok Days

 柴田早理の展示も素晴らしかった。

フ ランス・シャンパーニュ地方の葡萄畑を舞台に、葡萄が成熟するかのように時を重ねる女性を演じながら、自然への畏怖や感謝、故郷に伝わる継承を織り込んでいく作品だった。

 印象的だったのは、縦に伸びる細長いビルの空間を、本当にうまく使っていたことだ。自然光をたっぷり取り込む階があり、薄暗がりの中で像が浮かび上がる階がある。その切り替えが、作品の呼吸とよく合っていた。

 空間のなかに包み込まれるような感覚があって、作品のテーマとモチーフが、展示設計によってより強く体験へと変わっていた。暗闇に壁にかかる作品が映り込み、その場そのものを構成するような仕掛けにも惹かれた。展示中央部にモネの水連池のように、視覚の奥行きが空間ににじんでいく感覚があった。


イヴ・マルシャン&ロマ・メェッフェル「残されるもののかたち」

廃墟という問いに、これ以上ない展示空間


残されるもののかたち

 今回もっとも強く「展示の凄み」を感じたのが、この展示だった。

 フランスの写真家ユニットが、現代の廃墟を大判カメラで捉えた作品に加え、初期写真技法とAIテクノロジーを組み合わせた作品、さらに京都を被写体にした新シリーズまで発表していた。

 会場は、かつて使われていた学生寮。いまは使われておらず、ツタが這い、ペンキは剥がれ、床もむき出しになっている。その部屋いっぱいに、巨大なプリントが立てかけられている。しかも、プリントの場所に近づくと、そこで聞こえるであろう「音」がする仕掛けまである。

 踊り場には、学生が落書きしたような体で壁いっぱいにプロンプトが張り出され、失敗と思える試行の過程も展示されていた。

 つまり、ただ写真を見るのではなく、全身でその場に入っていく展示になっていた。

 「なぜ人は廃墟に惹かれるのか」という問いに対して、これ以上ない展示方法なのではないかと思った。ホワイトキューブの美術館では、ここまでの切実さは出せないだろう。

 屋上に上がると京都タワーが見える。その現実の京都と、廃墟として再構成された京都のイメージが同時に重なる仕掛けにも、しびれた。


タンディウェ・ムリウ「Camo」

色彩と空間が、幻想を成立させていた


Camo

 この展示もすごかった。

 京都の老舗町家の空間の薄暗がりの中に、ぱきっとした色彩が浮かび上がる。アフリカのテキスタイルに身を包んだポートレートが、強い存在感で立ち上がっていた。

 部屋の奥に次のプリントがちらりと覗く。その見え方によって、遠近感すら少し危うくなり、空間全体が幻想の中に入っていくようだった。作品そのものの強さに加えて、見せ方が本当にうまい。色と暗さ、奥行きと覗き込み、そのすべてが噛み合っていた。

 ただ鮮やかなだけではない。空間の体験として成立していたからこそ、強く印象に残ったのだと思う。


フェデリコ・エストル「シャイン・ヒーローズ」

テーマとモチーフがぴたりと噛み合った展示


シャイン・ヒーローズ

 フェデリコ・エストルの展示も見事だった。

 ボリビアの靴磨きたちとともに、周縁に追いやられたコミュニティを「ヒーロー」として捉え直し、そのアイデンティティと結束を映し出していく作品である。

 展示を見ながら、日本のサブカルチャーはやはり世界に影響を与えているのだと感じた。これはきっと『ONE PIECE』的な感覚なのだろう、と思わせるところがあった。

 仕立てが面白い。壁面全体がマンガのように展開され、オノマトペと図像が一体となる。イメージの境界と背景、作品同士の関係が、コミックを読むように広がっていく。

 テーマとモチーフがぴったりと合体していた。しかも、鑑賞者の行動変容を促す仕掛けまである。

 単に「面白い展示」ではなく、作品の狙いが展示によってさらに深く届く構造になっていた。素晴らしい作家だと思った。


KYOTOGRAPHIEで何度も思ったこと


 今回のKYOTOGRAPHIEを通して、何度も思った。

 展示してこそ作品だ。

 もちろん、写真そのものが弱くていいわけではない。でも、写真が作品になるのは、プリントされ、置かれ、空間と結びつき、鑑賞者の身体の中で体験として立ち上がったときだと思う。展示は、完成した写真を並べる最後の工程ではない。作品の一部であり、場合によっては核心そのものでもある。

 今回見た展示は、そのことをそれぞれ異なる方法で示していた。


日帰りだったからこそ、深く見えた

 今回は日帰りだった。全部を見ることはできなかった。

 でも、だからこそよかったのかもしれない。全部を浅くなぞるより、いくつかを深く受け取る。そのほうが、結果として長く残る。

 35mm F2の単焦点一本で旅に出るように、選び、絞り、そのぶん深く見る。今回のKYOTOGRAPHIEは、そのこと自体を、展示というかたちで教えてくれた。


リファレンスを、自分の制作ルールに変えたい方へ

展示を見て感動するだけで終わらせず、自分の作品制作に落とし込みたい方には、Aboxの4STEPがおすすめです。


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