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  • t.takasaki

広告カメラマンが作品を撮るということ

更新日:2023年9月27日


プロダクション勤務時代、僕は誰よりも作品を撮らないカメラマンだった。

早く一人前になりたくて土日も撮影案件のスケジュールで埋めていたため、自主的な作品を撮る時間がなかったというのが大きな理由だが、今にして思えばそれは言い訳だったような気がする。


プロカメラマンが撮る作品には大きく分けて2通りある。

1)自分が活動しているフィールドへのプレゼンテーションツールとしての作品。

2)職業に固執しない一社会人(作家)としての自己表現。


1)は分かりやすくいえば、「私ってこういうライティングできるんですよ。」「こんな感性持ってるんですよ。」とアートディレクターやクライアントにアピールし、広告の仕事を得るための作品。撮った作品を自分のサイトに掲載したり、タブレットを使って営業ツールとして扱う。

これに対し、2)は他のアーティスト同様に「社会にこんなメッセージを投げかけたい。」というもの。

僕が初めてアートを意識した自主作品を携え、フォトギャラリーにプレゼンに行った時のこと。「これだけ活躍してるんだからコマーシャルだけやってればいいじゃない。」とギャラリストに言われた。また「コマーシャル辞める覚悟はあるの?」とも言われた。他の先輩カメラマンからは「アートに手を出すと広告撮影の仕事が減るよ。」と言われたこともある。


つまりは高度な撮影後術があっても、中途半端な気持ちで、それっぽく撮れた作品をアートの世界に掲げても通用しないよ。ということなのだ。また、社会的なメッセージを掲げるときには環境問題などで一部の企業や政党を敵に回すこともある。広告に携わる立場にいながら、そうしたことに立ち向かうことができるのか?と覚悟を試された。

世界の写真家人口の比率としては少ない方だろうが、広告とアートの両面で活動している人たちは存在する。故アービング・ペン然り、、ニック・ナイト然り。僕もなんとかその両軸で活動できているが、その中間にいるからこそ見えるものもある。


世の中に一般の仕事に就きながら(もしくは主婦が)、アーティストとして活動する写真家が増えてきた。今はカメラが進化してきたのでユニークな発想があれば表現できるとも考えがちだが、以外にも大判カメラを使ってフイルム撮影にこだわる方もいると聞く。

プロカメラマンという立場に胡座をかいたままでは、あっという間にその立場が脅かされる時代になったということだ。実際、僕の周囲で消えていったプロカメラマンも多い。


さて、そんなわけでアーティストとしても活動して20年が経ったいま、ご縁あって富山県南砺市の福光会館で僕の常設展が行われることになった。


写真展パンフレット
高崎勉 写真展


会期は9月9日からだが、終わりは決まっていない。展示スペースは一般への貸し出しも行われるのだが、その期間は自分の作品は会場内の別のスペースに場所を移して展示が継続される。

過去の作品から定期的に時系列でシリーズを入れ替えていくのだが、今こうして最初のシリーズ作品と対峙して「いかにも広告カメラマンが撮ったっぽいな。」と感じてしまった。まだ技術ばかりに頼っていた自分が投影されているが、逆に今これを撮ろうと思っても撮れないだろうと思う。

やはり「作品」とは作家がその時代を生きた記録なのだ。


会場はこの数年間、コロナワクチンの接種会場として使われていた場所。再びコロナ前のように人が訪れ文化的交流があるようにと、町おこし的な運動への協力参加だが、自分の作品が社会のお役に立つのであれば嬉しく思う。



展示風景
展示風景



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