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「物の向こうにある心を撮る」〜唯物論を越えて見えてきたもの〜

  • t.takasaki
  • 11月4日
  • 読了時間: 2分

 写真講座を立ち上げてから10年が過ぎた。最近は大学でも教鞭を執るようになり、講演の依頼も増えてきた。

 先月は中国の芸術大学からお声がけをいただき、シンポジウムに参加した。テーマのひとつは「唯物論がデザインを導く」。私はStill Life(被写体が“物”である写真)を専門とする写真家の立場から意見交換を行ったのだが、そこで改めて感じたのは、私自身は“唯物論者”ではないということだった。(唯物論:観念などの根底的なものは物質であるとする哲学的思想。)

 滞在中には講演も7回行った。その中で私は「被写体そのものだけでなく、それを取り巻く人物や環境など背景にこそ目を向けるべきだ」と何度も話した。突き詰めれば、これは唯物論の対義にあたる「唯心論」や「観念論」に近い考え方なのだと思う。


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 Abox Photo Academyの授業でも、私は写真作品の中の“ドラマ”や“ストーリー”をとても大切にしている。

 たとえば受講生が「白いテーブルの上にコーヒーカップを置いた写真を撮りたい」と言ったとする。そのとき私は次々と質問を投げかける。


「ここはどこ?」

「何曜日の、何時ごろ?」

「この人は独り? それとも誰かと一緒?」

「コーヒーはブラック? 砂糖やミルクは?」

「どんな気分でこの場所にいるの?」

「それとも、そうしたことを一切排除したいの?」


 そうした問いを掘り下げないと、背景の作り方や小道具の選び方が決まらない。結果として、表面的にはおしゃれでも、深みのない写真になってしまうのだ。


 この姿勢は、コマーシャル撮影の現場でもまったく同じだ。「主人公はどんな人柄なのか」「誰に向けて投げかけるのか」。そうしたことを徹底的に話し合う。打ち合わせは長引いてしまうがその分、背景や小道具に意味が宿り、広告物の画面全体に調和が生まれる。コンセプトとのズレもなくなる。


 スナップフォトが偶然のドキュメンタリーであるのに対し、スタジオでのスティルライフフォトは演出がすべてだ。多くの人はメインの被写体(作家のこだわりのアイテムや、テーマに沿った物)には意識を向けるが、ではその「背景の細部」にまで目を配っているだろうか。


 その写真の主役はどんな人なのだろう?たとえ画面の中に人が写っていなくても、私は常にそこから考え始める。

 「物」を通して「人」を伝える――。写真活動40年の節目に、あらためてその思いを強くしている。



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