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Abox展2025 序文:「強度」ある眼差しをめぐって

  • Abox Photo Academy
  • 10月2日
  • 読了時間: 6分


ここに並ぶのは、単に美しい写真の集合体ではない。一枚一枚が、作家から私たち鑑賞者へ向けて投げかけられた、沈黙の、しかし雄弁な問いである。本展覧会は、その問いを受け止め、自らの内なる声に耳を澄ませ、作品との知的な対話を始めるための場として開かれている。ここから始まる鑑賞体験は、静かな驚きと共に、私たちを深い思索の旅へと誘うだろう。

Abox Photo Academyに集う作家たちは、写真というメディアを通して、世界をありのままに「写す」という行為に留まらない。彼らにとって写真は、自身と世界との関係性を、時に執拗に、時に優しく問い直すための実践の場なのである。ファインダー越しに見つめるその眼差しは、日常の断片から個人的な記憶、そして社会構造に至るまで、あらゆる対象へと向けられ、被写体との間に緊張感ある関係を築き上げていく。

本序文は、個々の作品の具体的な解説を目的とするものではない。むしろ、この多様な表現群を静かに貫く一本の哲学——本展覧会の核心をなす「作品の強度」という概念を解き明かし、鑑賞という旅路の羅針盤となることを目指すものである。


「作品の強度」という羅針盤

本展覧会を深く理解する上で、その根底に流れる哲学的指針である「作品の強度」という概念は、不可欠な鍵となる。これは、出展する作家全員が共有し、自らに課した創作上の極めて重要な目標である。

本展が掲げる「作品の強度」とは、単なる視覚的なインパクトや技巧的な美しさではない。それは「観た人の心に残る度合い」と定義される。一過性の感動にとどまらず、「記憶に長く残る」こと、そして時には鑑賞者を「何か具体的な行動へと繋がる」力を持つこと。アカデミーが「美しさは消費されてしまう」という鋭い視点を提示するように、彼らが目指すのは、刹那的に消費されるイメージの奔流に抗う、永続的な価値の創造なのである。

この「作品の強度」を追求するプロセスは、単なる情熱だけでは到達し得ない、厳しくも真摯な「作家道」そのものである。作家たちは、自らが世界とどう向き合うかという「テーマを構想する力」、その探求の対象である「モチーフへの造詣」、それを写真として具現化する「形にする力」、そして自身の探求を言語化する「説明する力」といった、厳しい規律を自らに課してきた。本展覧会に並ぶ作品群は、その求道的な実践の、ひとつの到達点を示している。

そして、この「強度」を求める真摯な探求は、驚くほど多様な表現として結実している。作家一人ひとりの眼差しが、いかにして普遍的な問いへと昇華されていくのか、次章で見ていきたい。


多様な探求:パーソナルな眼差しから普遍的な問いへ

「作品の強度」という抽象的な概念は、各作家の極めて個人的な視点を通して、具体的な写真作品として見事に昇華されている。ここでは、その多様なアプローチをいくつかの視点から横断的に考察することで、本展覧会が持つ多層的な魅力を紐解いていきたい。

時間と記憶の織りなす風景

写真は、過ぎ去った時間を現在に呼び覚ます力を持つ。多くの作家が、時間、記憶、そして個人の歴史というテーマに深く分け入っていく。例えば、紅露氏は母の形見であるローライコードを手に、幼い頃の記憶が眠る真鶴の林に立つ。その行為は、300年の歴史を持つ保安林と母の記憶、そして自身の現在を、一枚の写真の上で静かに結びつける試みだ。また、Masayuki Morita氏が並べる「12 objects」は、人生を共にしてきたモノと自身の手を写すことで、触覚的な記憶の集積が「今の自分」をいかに形づくってきたかを物語る。松本香代子氏が捉えようとする「あったはずのもの」の気配もまた然りである。このように、彼らは個人的な記憶を単なる述懐に留めず、鑑賞者自身の過去と共鳴する普遍的な問いへと昇華させることで、「記憶に長く残る」という作品の強度を獲得している。


日常という深淵を覗く

何気ない日常風景や個人的な体験もまた、作家たちの鋭敏な眼差しによって、世界の構造や人間関係の本質を映し出す深淵となる。池上陽久氏が雪の日の細いわだちに見出すのは、共に歩む人々の「距離感」という関係性の可視化である。柴光則氏にとって、幻の魚イトウを追う釣りは、「寂しさなしに孤独でいることができる、この世に残された僅かな場所」であり、日常から解き放たれた穏やかな時間の探求となる。伊藤楚笛氏が「お茶を飲む」という一瞬に見出すのも、水面に映る風景の向こう側にある「更なる問いかけ」だ。彼らの作品は、日常に潜む本質を掬い上げることで、鑑賞者に自らの日常を再発見させ、思索へと導く。これこそが、一過性の美を超えた、心に残り続ける「強度」の一つの形であろう。

世界との対話を試みる眼差し

自己完結した表現に終わらず、写真を鑑賞者や社会への積極的な「問い」として提示する作家たちの姿勢もまた、本展覧会の重要な側面である。高崎勉氏は、白い卵という極めてシンプルなモチーフに、「生命の象徴」や「コロンブスへの回答」といった6つの異なる文脈を準備しながらも、敢えてそのタイトルを作品に併記しない。この情報の剥奪という行為こそが、鑑賞者自身の解釈を能動的に引き出し、「あなたにとって写真とは何なのか?」という根源的な問いを鋭く突きつける戦略なのである。松龍氏が、古代生物ハマロカリスを通して「現在我々は、多様性を許容できるようになっているのか」と問い、Ritsuko Matsushita氏が花たちの声を借りて現代社会を批評する視点も同様だ。彼らの作品は、完結した美を提示するのではなく、鑑賞者の思考を誘発し、社会的な対話を生む「具体的な行動へと繋がる」強度を志向しているのだ。

これら多様なアプローチは、それぞれが「作家道」における真摯な一歩であり、鑑賞者自身の内なる思索を促す確かな「強度」を秘めている。そして、その力は鑑賞者の存在によって、初めて十全に解き放たれるのである。


鑑賞者への招待状

本展覧会は、鑑賞者自身の参加によって初めて完成する。「作品は誰かに見せないと意味が無い」という言葉の通り、作家たちの探求と思索の結晶は、あなたの眼差しが注がれることで、最後の意味を与えられるのだ。作品は壁に掛けられた瞬間から、作家の手を離れ、私たち一人ひとりとの対話を待ち望んでいる。

作家の山本将也氏が「あなたがここから見出してくれた『輝き』を聞かせていただけたら嬉しいです」と語りかけるように、本展覧会の真の目的は、鑑賞者一人ひとりが作品の中から自分だけの意味や価値、すなわちあなただけの「輝き」を見出すことにある。ある作品は遠い記憶を呼び覚まし、ある作品は未来への思索を促すかもしれない。正解は一つではない。その発見のプロセスこそが、最も豊かな鑑賞体験となるだろう。

願わくは、この会場で過ごす時間が、あなたの日常、そして世界を見る眼差しに、新たな「強度」をもたらすきっかけとならんことを。作家たちが真摯な探求の末にたどり着いた問いは、今や鑑賞者であるあなたの眼差しに委ねられた。その対話の先に、世界を新たな深度で捉え直す視点が生まれることを、ここに確信している。


■開催概要■

  • 展覧会名: Abox展2025

  • 会期: 2025年10月16日(木) ~ 2025年10月19日(日)

  • 時間: 10:00~18:00 ※最終日のみ16:00まで

  • 会場: 横浜市民ギャラリー 3F/B1

  • 入場料: 無料

  • 作家: Abox Photo Academy 受講生(20名)

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