アートフォト講座アドバンストコース Plus受講生の松下律子さんが「写真新世紀2019年度(第42回公募)に佳作入賞いたしました。東京都写真美術館(恵比寿)での受賞作品展を目前に控えていらしゃる松下律子さんにお話を伺いました。松下律子さんは当校の講師 松龍先生の奥様でいらっしゃいます。松龍先生にも加わっていただき、作品作りに至る経緯、ご夫婦でそれぞれに写真作家として歩む生き方について掘り下げていきます。
聞き手 Abox Photo Academy 塾長 高崎 勉
【 いつか宇宙に還る 】
高崎:律子さんには、以前からインタビューしたかったんですけど、写真新世紀入選のこのタイミングでは、「おめでとうございます」っていうところからしか始まらないですよね。(笑)本当におめでとうございます!
律子:ありがとうございます!
高崎:どうですか、今の心境は?
律子:何より嬉しかったですね。もちろん驚いたんですが。
高崎:前の授業の時にね、その日は会った時から「なんかソワソワしてるな。」とは思ってたんだけど、講座が終わってから「実は受賞の連絡が来ました。」って報告を受けたんですよね。その時、律子さんに「あ、そう。あまり驚かないけど、おめでとう、。」って言ったの覚えてます。
律子:そうでしたね。(笑)
高崎:当然だよな。と思っていたのもあるし、その反面「コンテストは水ものだし、、」とも思ってたから。Aboxのアドバンストコースのクオリティなら充分にその可能性はありますからね。そもそも応募する時って手応えがあるから出すわけじゃないですか?(笑)公募展は元々視野にあって事前に調べられていたのですか?
律子:公募展で、私の作品を選んでくれるとしたら写真新世紀しかないだろうな。っていうことは暫く前から思っていました。
高崎:ちゃんと調べていらっしゃったんですね。
律子:それほどでもないですけど、写真をやっていると情報が耳に入って来ますよね。すると、どの賞がどんな写真を選んでるか。って分かってくるじゃないですか。
過去の受賞作品を見ていると、自分の撮ってる写真がどっちの方に向いてるかみたいな感じのことは何となく見えてきます。「ここは私の写真なんて目もくれないだろう」というところもあったり、興味を持って見てくれるんじゃないかと思うところがあったり、出したくても年齢的に受け付けてもらえないものもありますし、、。なんとなく自分で考えて、ある程度の作品が出来上がったら、たぶんここだ。といふうに思っていたのが写真新世紀でしたね。
高崎:律子さんに関しては、この受賞作「いつか宇宙に還る」の制作前から、Aboxでの提出作品のテーマの目の付け所が面白くって、一度頭の中を覗いてみたいって思ってたんですよ。
律子:そうなんですか?
高崎:そう。で、特に今回の受賞作品「いつか宇宙に還る」は内容がちょっと特殊なこともあったけど、とても深みがあるし、使った砂の取材のために山口まで行ったと伺った辺りから、面白いなと思ってたから。まずはそこから掘り下げさせてください。
高崎:この作品を作ろうと思われたのは2年ぐらい前だっていうことだったんですけど、そのきっかけなどを話してくださいますか。
律子:写真を撮り始めると、最初は「綺麗に撮れる」とか「撮りたいように撮れてくる」っていういことが楽しくなってきますけど、しばらくすると「自分の作品を撮る」ということを前提に、「何をテーマにしようかな」って考え始めるんじゃないですか。
いつか作品にしてみたいって思ったイメージが、子供の時に感じていて、大人になった今でも時々感じることがある自分の存在に対しての不信感であったり、自分の体が無くなっていってしまうような不思議な感覚を持ってる子供の頃の体験、、、そういうものを作品に出来たらいいなっていうふうには思ってました。
でも具体的にどうしたらいいかっていうことは、最初の頃は全く、、、あの砂のアイデアももちろん無かったし、、、わからなかったですね。
高崎:じゃあ、テーマに結びつく思いは「写真を始めたから」っていうことよりも、前から持ってた気持ちだったんですね。自分の子供時代のことを何かで表現したいという様な気持ちは以前から?
律子:いえ、「表現したい。」っていう風に思ったの写真を始めてからです 。
高崎:やっぱり写真があったからなんだ。
律子:そういう感覚と記憶があったというだけで、 、、表現しようと思ったことは全くなかったですし、それを誰かに話したことすらなかったです。
高崎:写真をやっていることでスイッチが入ったんですね。表現方法って色々あって、歌にする人もいれば小説にする人もいて、さらに違う表現もあるけど、やっぱり写真表現と出会ったからなのでしょうかね。ところで写真始めたきっかけって何ですか?
律子:私、失業したんですよね。会社がなくなっちゃったんですよ。。
高崎:ええ~っ!
律子:それまではバリバリ働いて、ある程度の収入を得ていた私が、再就職するのなんてそんなに苦労しないだろう。と思っていたら大変苦労しまして、、。その時にガツンと来たって言うか、「私って今まで何をしてきたんだろう」というような思いになって。
ちょうどそんな時に松龍からカメラのお古が下がってきて、触ったらちょっと面白くなって。
今まで、生きていくために仕事をするか、家のことをするか、、、それくらいしかしたことがなかったんですよね。
高崎:そういう空っぽになっちゃった時にカメラに触れる機会があって、更に深めようと教室に習い始めたということですね。
律子:そうです。
高崎:写真始められた時って、誰もがスナップだったり、街の綺麗な風景だったり、旅行先で自分の見た綺麗な風景を残したい。というところから始めるのが普通だと思うんですけど、最初の頃はどうでしたか。
律子:私チョコレートがすごく好きなんです。食べたチョコレートを全て記録に残そうと思って最初チョコレートばっかり撮ってました。
高崎:ブツ撮りから入られたのですね。(笑)それはブログに上げたりとか、誰かに見てもらうためでしたか。
律子:ブログには上げていましたが、どちらかと言うと誰かに見てもらうというより自分の記録のためでした。その時は撮れてた気になってましたけど、今見るとやっぱり、、「どうだろうなあ」っていう感じがしますね。
高崎:それはピントが合ってないとか、明るさが足りないとか技術的なこと?
律子:それだけではなかった気がします。
高崎:多分、意識して色んな写真を見てなかったから、「まあこんなもんだろう」みたいな自己満足で終わってたのかな。
律子:多分そうなんでしょうね。誰かと比較して撮ったこともなかったですし、「分かりさえすればいいや」っていう感じでしたから。
高崎:自分の写真がイマイチかな?って感じだしたのは、ネットとかで人に見てもらってからですか?
律子:SNSで「いいね」ってつけてくださっても、写真がいいのか、記事がいいのかはわからないですからね。写真教室に通い始めて人に写真を見せて講評してもらい、その教室で他の生徒の写真を見る。となってからですよね。自分の写真が分析できるようになったのは。
高崎:写真教室の講評会のいいところは他の方の作品講評も聴講できるということだもんね。
律子:私の最初の写真展はその教室のグループ展だったんですが、チョコレートの写真を展示しましたから、未だにそこでは「チョコレートの写真撮る人」って言われてますね。(笑)
高崎:他の人は風景や可愛い猫ちゃん、ワンちゃんとか撮る人が多いんじゃないかと想像するんですが、写真教室に通われてた仲間からすると、物を撮るって変わって見られませんでしたか?
律子:旅行が好きなので風景やスナップは撮ってました。最初のころの写真教室で撮影会にいったりすると、他と見てるところが違うと言われました。スナップを撮ったときに「どこにそれがあったの」と、よく言われました。逆に私からすると「なぜ、これに気がつかないのか」と不思議でした。
高崎:へえ~、最初から着眼点が人とは違ったのかもしれないですね。そういうことが確認できる場でもあったんでしょうね。
律子:確かにそうなのかもしれないですね。
【 作品のテーマとモチーフ】
高崎:僕は実際に律子さんの作品を初めて拝見したのは、一昨年の銀座の古いビル(奥野ビル)でのグループ展が初めてだったんですけど、今まで何回ぐらいグループ展に参加されたんですか。
律子:7回くらいグループ展をやっています。最初は2013年ですね。
高崎:最初が割と最近の話なのに、結構出展なさってますね。
律子:毎年一回くらいやっていますね。
高崎:すごいなあ。プロの写真家だって、毎年やれるかって言ったら、、難しいですからね。
律子:でも、1点だけという時もありますから。
高崎:でも自分を晒すステージに毎回立つというのは気合いが要るよね。自分の作品がこの辺から急に変わった!と意識した時期や、変わったきっかけなどはありますか?
律子:私、宿題好きなんです。(笑)自分でテーマを考える範囲ってやっぱり限定されるじゃないですか。他人から出されるお題は、思いがけない視点があるのでそれを考えるのが楽しいんです。きっかけといえば、、教室で出された「見たことのない世界」というお題でした。
「見たことのない世界」だって、カメラを向けた瞬間に見たことがある世界になっちゃう、、、。みたいなことから考えて。それが大きなきっかけですね。そのあたりから自分が作品を作るということを考え出した気がします。
高崎:なるほど。
律子:多分その辺りから、今回受賞したテーマを「いつか作品にしてみたい」って思った気がします。
高崎:そこで今回の受賞作品「いつか宇宙に還る」ですけど、構想から2年で着地したわけですが、先ほど伺った子供の頃から感じていた想いがあって、それをまず写真作品に表現しようとしたとき、いろんな方法がある中で自分のアルバム写真を使おうとした発想はどこになるんですか?
律子:子供のころにあった、自分が粉々になって無くなってしまいそうなイメージっていうのをどう表現しようかって思った時に、割と早い段階で砂にしようって思ったんですね。
高崎:ヘぇ~(深いため息)。
律子:(笑)、、で、、私のイメージとして身体が粉々に散っていってしまう、、子供の時なのでそういう厳格な言葉はなかったですけど、宇宙に散ってしまうっていうイメージだったんです。
だから宇宙を連想させるものが自分の身の回りにあるだろうか?って思った時に、まず「地球」だろうと。地球を表現するのに最初は庭の土とかでもいいかなと思ったんですけども、なんとなく土っていうのがエネルギーの塊と言うか、有機物だし、「生きとし生けるものの成れの果て」みたいなイメージがあったんですね。あまり有機物をイメージしないものにしたかったので、砂は無機物なので、、、それで砂にしようと思いました。
高崎:ふむ。
律子:次に、自分が散っていくというものを表現するために、自分をイメージするものがなくちゃいけないなと思ったんですけど、その時の自分も、その時に自分が「散っていきそうだ」と思っていた場所もここには今無い、、、。
それは私の小さい時の写真の中にあると思ったんです。
高崎:なるほど。
律子:そう思ってから家のアルバムを開いてみた。そしてその中にその空間があると思ったんです。
松龍:先に砂があるんだよね。
律子:そうです。
高崎:僕はてっきり「アルバム」という物が先にあって、次に砂の発想があったのかと思ってたんですが、、、逆なんですね。そこが独特であり、それを突き通したことが凄いですよね。
松龍:感覚が先にきているんだよね。自分の体が散っていってしまう感じが砂と同じだ。という思いが先に来て、それを写真としてどうするかは後に来ているんだね。
高崎:松龍さんにはいつ相談したのですか。その話はすんなりと受け入れてもらえましたか。
律子:この話は全然話さず、最初に幾つかのアイディアとして砂を写真に撒いて撮った写真を観てもらいました。「こういうふうにやろうと思っているけど」と。最終的に使用した「豊浦硅砂」という砂のことなどもちろん知らなかったので、沖縄の砂やら、何とか砂や、庭の砂など数種類を見せました。
高崎:そのときの松龍さんの感想は?
律子:「凄く面白い」と。
高崎:その時点でかなり文脈が出来上がってますもんね。
律子:あと、、そのときのやりとりとしては、できるだけ人の手で加工していないものが良いと話した結果、豊浦硅砂に辿り着いたんです。。
高崎:その豊浦硅砂に辿り着くまでの経緯をもう少し詳しく教えていただけますか?
律子:とにかく土でなく砂だと思った時に Amazon で調べたりもしたんですが、、やっぱり最初は写真を綺麗に仕上げたいと思ったので白い砂とかを探したんです。でも人工的に着色されていたり加工がされていたり、まっ白で綺麗過ぎて、なにか違うなと思っていたんです。
松龍:砂に関しては深く議論した。この作品の一番ポイントは「なぜこの砂なのか」ということだと思って。本人も悩み、僕も提案してみたものの、見せると「色が、、、」とか、言われて相当迷った。
高崎:松龍さんが豊浦硅砂を推した経緯は?
松龍:僕は土木工学出身で、研究者をやっていたこともあって昔から馴染みがあったんです。学会の論文にも良く引用される素材でコンクリートの強度試験に使ったり、土のしまり具合を計測したりするのに用いられる世界標準の実験材料だった。これで実験したデータは研究者が信用するもの。。。そしてそれが山口県産で洗っただけの自然の砂だし、この作品に使うにはぴったりのストーリーをもっていた。そして強く勧めたはいいが、これが入手困難なんですよ。
昔の知人に分けてくれないかとあちこち声をかけたが、今は標準砂でなくなってしまったこともあって手に入らなかった。取材をしていくと僕たちが育った日本の高度経済成長期に日本のインフラ建築を整備した共通のマテリアルだし、そしてグローバル化の波が押し寄せてJIS規格からISO規格に合わせられたことによって標準砂でなくなってしまったことも人生に重なっていたと、、。そんな経緯です。
律子:そもそも勧められても私は見たこともないし。(笑)
松龍:ふと、昔使ったのを実家の地下室に保管してあったことを思い出して、母に家捜ししてもらったら出てきた。それでテストをした。
高崎:使った感触的には「おお~、良いじゃん、イメージ通り。」という感じでしたか?
律子:使ってみたら難しい。(笑)細かくて、透けるし、跳ねるし、扱い辛かった。この砂は大変だなと思いました。でも、やるとしたらこれしかないと思いましたね。最初はこの色が邪魔になるかな?とも思いましたが、日本国内で採れるし、加工されていない自然の砂。
淡い黄色が日本人の肌を想起させるし、「もうこの砂しかない」と思うようになりました。
高崎:昔の写真は、退色してくると黄色みが出てくるよね。だから古ぼけた感じの写真にはマッチするんでしょうね。
高崎:撮影の方法論の話に進みたいところなんだけど、その前に山口取材の話を伺いたくて。
松龍:これ(豊浦硅砂)でいけるよね。っていうことを確信を得たからこそ、説明は絶対に求められるし、「採掘の現場まで行って見ておいた方が絶対に良いよ。」とは勧めたね。
高崎:それも普通は出ないアドバイスですけど、、このパートナーシップでこそ起きる反応ですよね。
松龍:このアイデアを最初に聞いた瞬間に、絶対凄いことになると思ったんですよ。だから世の中にちゃんと説明ができるように、きちっと裏を全部揃えておくことが必要で。なんとなくそこにあった砂なんです。っていう感じで説明しないほうがいい。ステートメントにもパチッと書ける状態にしといた方がいいから山口に行こうよ。って僕が強く勧めましたね。
律子:それで豊浦硅砂の会社にメールしました。
高崎:ちょっと待って、、、、、。簡単に言うけどさ、その会社に辿り着いて、さらに交渉するのも大変な話でしょう。会社を調べるのだって大変じゃなかったですか?
律子:豊浦硅砂の会社は一つしかないので大変でありませんでした。まずはメールしました。
高崎:メールしたときの反応は?
律子:返事はメールでなくて電話がきました。「一体なんのことですか」って。(笑)
「写真家として活動をしている。。作品に豊浦硅砂を使っているので取材したい。」と改めて伝えたら、とても不思議そうにしておられる感じでしたね。
「小さい会社で期待しているものがお見せできるとは思えないですけど、どうぞ」、と言ってくださったので日にちをお約束して行くことにしました。
高崎:行ってみてどうでした?
律子:行ってみて良かったと思いました。 こういう風にして、できてくるんだっていうのがわかるっていうのは、やっぱり格別な体験ですよね。
高崎:先日のAbox展で掲示した文章はグループ展だから、コンパクトにまとめてもらったけど、自分のシリーズ作品の一つとしてステートメントにしようと思うと、 原稿用紙何枚とかって世界になっていくでしょ。そこにこの取材の事ってかなり奥深く解説できますよね。他に、写真を撮る段階で取材が活きたところってあります?
律子:具体的に写真には表れていないですが、作品や砂がいとおしくなって、行かなかったときによりも大切にしようという気持ちにはなりましたね。思いが深まりました。見学もすべての行程を案内してくださって、採砂場、洗うところ、乾燥させるところ、ふるいにかけて粒度を調整するところ、計量するところなどですね。いままで誰かに関わってもらって作品を制作したことは無かったけど、今回は沢山の人に関わってもらって出来上がったんです。
高崎:そして、この砂で行こうとさらに気持ちが高まったところで、、僕のアトリエでの1回目のの実験になるんですか。
律子:いえ、その前にいろいろ試行錯誤しました。最終的には型紙切って砂を撒くという方法に達しましたけど、砂が飛ばないように糊で貼ってみたり、型紙を使わずに自分でなぞるということも試しました。ケチャップの容器で撒いてみたりもしたんだけど、均一にならなくて。
松龍に相談して、蒔絵の道具のようなものを作ってもらって、それでやるようにしたんです。本当にいろいろ試しましたね。ある程度の形を作ってから刷毛で綺麗に何とかしようかとか、水を垂らしてやるとか、水と砂を一緒にまくとか、、、。
松龍:参考にした粉を撒く道具は粉筒というものです。これなら思い通りに砂が撒けるのではと思って作りました。これは伝統工芸の蒔絵をつくる職人が使っている道具で、漆の上に金粉を蒔くときに使うものです。本物は入手しにくいので、自分で東急ハンズにいって材料を揃えてつくりました。いくつかの種類をつくりましたね。あるときにテレビで伝統工芸のドキュメンタリーをやっていて、蒔絵を作っている職人の話があった。それを観たのを思い出して探してもう一度見てみて、あれは良さそうだと思いついたんです。
高崎:そのあたりで一度、僕に相談しようとなるわけですか?
松龍:高崎さんのところに行くとなったのは、、砂の撒き方もあるんだけど、撒いた後の肝心の撮影をどうやったら頭の中にあるイメージでちゃん撮れるのか?というのが問題になったからです。自分たちの持っている機材でやれるのかも含めて相談しにいこうとなったんですよ。
高崎:松龍さんの照明機材は、クリップオンストロボとモノブロック一灯ずつでしたっけ。
松龍:そうですね。
高崎:砂の事を模索されたエネルギーで、ライティングもトライなさったんですか?
律子:そうです。手伝ってもらって色々やってみました。
高崎:最初に僕に相談に来られた時って、確か簡単なライティングのアドバイスをして「手持ちで撮影するんじゃなくてちゃんとカメラ位置を決めたほうがいいよ」って俯瞰用のアームを貸し出したのでしたよね。
松龍:そうそう。1回目の話は、俯瞰で複写を撮影する基本的な技術と道具についてアドバイスをもらった。こういうアングルでセットしておいて、元の写真にある光の方向性について考慮したライティングにすることなどです。そしてライティングをセットした後、写真を回して撮影する。などの話をしていた。じゃあ、これで撮れそうだよね。となって帰ってきて、一つの部屋を撮影場に占拠して「やるぞ!」みたいな感じでセットを組んだものの、やっぱりうまくいかない、、。狭いんで光が干渉したし、作業効率があまりにも悪い。台にプリントをセットし、型紙を置いて、砂をまき、撮影していく、、、もう身体が悲鳴を上げてしまったね。こんなのでは一体いつになるんだということになってきた。
高崎:どのくらいの広さの部屋で?
律子:家具も入ったままの6畳間です。しばらく頓挫してましたね。仕上がりを見ても「やっぱりできてない」という感じになって。
高崎:どの辺りがしっくり来なかったの?
律子:最初から狙っていたことなんですが「本物の砂が写真に載っていて、払い落としたくなるようにしたい。」ということができていない。あとは、そもそもの写真がいろいろな時代、いろいろなカメラで撮ってきたもので色がバラバラ。それは良いんだけど、砂の色だけはきっちり揃えたかったのに出来なかった。自然光や周りの反射があったのかもしれないですね。遮光カーテンがあるわけでもないし朝や仕事が終わった夜に撮影をしていたんですが、全然上手くいかなかった。
高崎:セットは暫く組みっぱなし?
律子:そうですね。数ヶ月はずっと組みっぱなしでした。
松龍:あくまで彼女の作品なんで一緒に考えたりするのはいいんだけど、僕がばんばん撮影することはしたくない。アドバイスを聞きに行こうと誘って高崎さんのところに習いにいき、帰ってきて、撮影スペースを作ってセットして「後は撮れるからやりな。困ったら相談してね。」と言ってある程度放置したけど、作品は上がってこない。
そして「どうなってる?」って話を聞くと「そうか~、それは難しいね。。」となる。
そのときに二人ともスイッチが切り変わった。「もう、この場所で撮るのは止めて、きちんと撮れる環境に行って撮影しよう。」つまり、高崎スタジオで作品を仕上げようよとアドバイスした。
【「自分がいなくなっちゃう」という感覚。】
高崎:そこで僕のアトリエでの2回目のトライアルになるわけですよね。で、「じゃあ5月の大型連休の最終日に撮ろう。」って集まりましたね。僕が凄く面白いと思ったのは、そこで何の取り決めもしてないのに勝手に役割分担が出来て、、勝手にお互いのパートで体が動いて作業が進んで。ある意味セッションで気持ちいいんだけど、不思議な感覚でしたね。
松龍:僕の中ではそうあるべきだと思って伺ったんですよ。確かにそんな打ち合わせしなかったですよね。
高崎:しかも、、まさに化学反応だな。と思ったのは、僕があの撮影の方法を思いついたのは、その一週間くらい前の仕事がきっかけだったんですよ。博物館の資料を撮る仕事で真っ正面からガラスの入った額縁を撮らなきゃいけない。しかも中の絵はほとんど黒っぽい絵だったんでカメラや自分が鏡のように全部写ってしまう、、。まあ、ここではそのテクニックは明かさないけど(笑)。「これは律子さんの作品そのまま使えるな」って気付いた。OHPシートの上に砂を撒いたら後で微妙に移動もできるっていうアイデアは、事前にお二人にお話ししてたんでしたっけ?
松龍:それも当日アトリエで聞きましたよ。
高崎:そうだよね。透明シートの上に砂を撒けば写真の上で砂を動かすことができるし、写真も汚れない。そうとは判ってってたんだけど、光沢のあるシートを使うとカメラや天井が写りこんじゃうし、マットのシートでは写真の鮮鋭性が欠けるから、どうしたものかな~って、自分なりに悩んでいたんです。
松龍:そのタイミングだから引用できた技法だったんですよね。
高崎:そもそも、役割分担が勝手に出来たっていうのも「2日間で30点は制作したい」っていう数値的な目標があったからですよ。3人とも共通認識として持ってることだけど、以前松龍さんが授業の中で仰ってた「人の力を借りてもいいんだよ」っていう言葉が残っていたからなんでしょうね。結局何カット撮ったんでしたっけ?
律子:2日間で35カット撮りましたね。
高崎:すごいですね。っていうか、計画通りに事が進みましたね。役割としては律子さんと松龍さんで砂を撒いて、調整してセッティング。僕がライティングとカメラワークのお手伝い。律子さんはアーティストとしての指示出しでしたよね。本当にいいチームワークだったと思います。
律子:あとはやっぱりAboxの講評や受講生メンバーの反応って、影響されましたね。何より勇気づけられたし。凄く個人的な感覚を作品にしようとしているし、そもそも私の言ってるテーマって変じゃないですか。(笑)それが他の人に受け入れてもらえるんだろうか?というのは気になりましたから。「その感覚、解る。」って言われた事も「作品としてすごく面白い」と言われたのも良かった。心強かった。
高崎:受賞前のAbox展の会場でも、お客様から「私もそういう思いだったんです」って、共感してくださった方がいらしたって伺いましたけど、それって賞を頂くのと同じくらい大きいですよね。「私もそうなんだよ。大丈夫だよ。」っていうことが伝播して、安心する人がひとりでも居てくれれば、、。そんな風に子供達や大人に対してのメッセージって強く持っていたりなさったんですか?
律子:そんなに大げさなことではないんです。ただ、その「自分の個人的な感覚」だけが動機だったら、作品にしようとは思わなかったでしょうね。
高崎:、、、というのは?
律子:「自分がなくなっちゃうかもしれない」っていうその感覚は、ものすごく不安なのと同時に清々しい不思議な気持ちもあったんですね。そのうち「自分はなくならない。」って分かってくるじゃないですか。それが分かってくると「清々しい気持ちだけを体験したい」と思うんですよ。そして、そういう感覚になりそう、、と思った時にその感覚に陥ろうすると、今度はできなくなってきた。雑念が入るんでしょうね。その感覚は中学生くらいで無くなってしまったんです。、、
そして高校生くらいの時だったか、宇宙の始まりビッッグバンがあり、星が砕け散った小さな粒(元素)、それで地球ができて自分たち自身ができてる、、ということを知った時に、以前私が感じてた感覚っていうのは、「あながち無茶苦茶じゃなかったんじゃないか。」という思いになったんです。さらに大人になって東洋哲学とか禅の本を読んだりすると「人も含めてどんな物質も今の姿が一瞬の姿であって、全ては流動的である。」というような「空(くう)」とかそんな話になってしまうんですけど、科学的だけでなくて哲学的にもそういうようなことが言われているんだ。ということがわかり、「感覚」と「知識」が重なったからこそ、作品にしたいなと思ったんです。
子供の時の感覚だけがベースだったら作品にすることはなかったでしょうね。
松龍:僕らは二人とも「禅」や「東洋哲学」に興味があって、時々和室で二人で座禅を組むんですよ。すると、時に雑念がパッとなくなって宇宙と自分が一体となるような瞬間があるんです。律子は多分子供の頃、そういう状態だったんでしょうね。
もう僕ら大人になっちゃって、何も考えてない時間を作りなさいって難しいじゃないですか。だからそれが気持ちがいいっていうことが、すごくよく分かるんですよね。
この作品の話をする時に、座禅をやってる人に「つまり禅なんだよね」って言うと、みんな分かる。
律子:私は子供の時には、もちろん座禅を組むとか、そんなこと全く考えてなくて。。
松龍:げだつ(解脱)してたんだよね。きっと。
律子:今思うと、そういうことだったのかもしれない。だからこそ雑念があるとその境地にいけないんだと思ったりしますね。。。
あと、、横山大観の”無我”という子供の絵があるんですが。
高崎:はい、知ってます。
律子:あれに近いのではと感じてます。子供に対して無我っていうタイトルをつけるのはどうだったんだ?みたいなことを言われたりしてるけど、多分あの子は子供の時の私と同じように宇宙と一体化してるんじゃないかと思うんです。
高崎:なるほど、それはわかりやすいです。
【 Abox 展と写真新世紀のあいだで。】
高崎:先ほども少し触れましたが、Abox展でのお客様の反応はどうでしたか。
律子:本当に思いもよらないことを仰る人がいますね。(笑)技術的なことを聞かれたりして、いくら説明しても写真の上に本当の砂があると思っている人や、「怖い」っていう人。それはある意味仕方ないのかもしれないですけど、「死をイメージする」っていうようなことも言われました。
松龍:でもそれって、本質がちゃんと伝わってるってことだよね。だって宇宙と一体になるってことは死ぬというか、次のフェイズに移るんだけど、それを体感してることが表現されていて、そこが見る側に伝わるって事だよね。
律子:「そこにいるのか、いないのか」「砂の下に存在してるのか存在していないのか」 分からないという人もいらっしゃいました。人が写ってないところに砂で形作ってるんじゃないかとか。
高崎:受け取り方が色々だったんだ。この時点で作家の手を離れて受け手の物になっているね。
松龍:非常に多義性がある作品になっている。
律子:色が影響しているからか、逆に神や仏のような感じを受けるという方も。ありがたい感じがるすると言われました。両極端の感想がきましたね。あとは私と同じような感覚を知ってるって言う人はやっぱりいましたね。他には「臨死体験した人の本を読んだばっかりなんですけど、それを彷彿させられる」とか。
高崎:ステートメントも結構苦労されましたよね。
律子:そうです。
高崎:僕も何度か制作の過程で拝見しましたけど、大変でしたよね。引用した小説(「ポール・ギャリコ「雪のひとひら」)も読ませていただきましたし、でもやっぱり「独特な幼少期の体験なので僕が入り込めない領域だな」と思って、読み手の立場としてアドバイスさせていただきました。初めの頃は要素が多すぎるという印象だった反面、伝えたい核は一つっていうのはご自身でも分かっていらしたんでしょうね。だからこそ写真と同時に加速度的に着地しましたよね。(笑)
では、撮影のことで印象的だったことは何かありますか。
律子:今まで基本的に一人でできることを作品として仕上げてきたんですが、もちろん、どれも途中で諦めて妥協して発表したわけではありません。自分なりのイメージに仕上げてきました。今回の作品は明確に「こうしたい」というイメージがあったんですけど、まあ、難しかったわけです。だけどやはり妥協できなかったんですよね。
高崎:僕のアトリエでの1回目のトライアルの時から確固たるイメージはできてたんですもんね。
律子:はい。だから最後はアウトプットのためのテクニカルなところでの壁ですよね。
松龍:僕が一緒に関わってきて、ターニングポイントだなって感じたのは、3人で話してて高崎さんが「作品のサイズはどうするの?」って聞いてくれたじゃないですか。砂のリアルさを出すのか出さないのか?どんな拡大率で砂を見せるのか?って話になった時に、拡大、縮小するとリアリティは無くなるよね、、となった時に、作家のイメージがバチッと決まったんでしょうね。
高崎:覚えてます。
松龍:でも、じゃあどうしたらいいのか?っていう雲をつかむような状態が結構長かった。
仮定の話だけど、高崎さんがいなかったとして「二人でやります」って言ったらここまで辿り着けないよね。どこかで諦めるしかないかなと。
律子:できたとしてもシリーズにはできない。一枚二枚なら作れるけど、35枚は揃えられない。
高崎:現在の作品数(35点)から、また撮り足したいと言っていましたよね。
律子:一旦はシリーズとしてまとめましたが、年代的に歯抜けになっているところがありますから。自分の年齢分は作りたいですね。もう素材のセレクトもできています。作ってみて「これは面白くないな」っていうのは、やっぱりあるのでトライ&エラーを続けることになりそうですが。
高崎:Abox展を終えて、公募展への応募へという流れは計画的だったんですか?
松龍:Abox展の前後はてんてこまいになっていたね。(笑)Abox展はやるのは決まっていた。でも2か月前になっても1カットもOKのプリントはない、、。そんな状態から追い込まれて高崎スタジオで集中撮影をすることになり、なんとか、撮影はできた。一枚プリントしてなんとか行けそうだね。となったころに「写真新世紀が募集中だけど出してみたら」と僕が言ってみた。「登竜門として相当ハードルは高いが、出してみるか、、。」となってからが、また大変だった。応募用のプリントと展示用のプリントは、ほぼ同時に制作していたし、アルバムも2冊作っていたし。展示は枚数がすくないが、新世紀はフルセットで出さなければならないし、展示プランも必要。ステートメントや全体のボリュームや重点が異なりましたから。
「発射台も出来てて、もうロケット飛ぶんだから、こっち行きにも乗れば」みいな感じにはなっていたけど「てんてこまいでやっぱりできない。」みたいな泣き言は言ってたよね。それで「何言ってんだよ。ここまでやったら出すんだよ」って励ましていた。「今やらなければ。絶対今年だ。最近の写真界もこの流れになっているので誰かにやられてしまうから、今年やろう。」そんな流れでしたよ。
高崎:では、Abox Photo Academyについてひとこと頂けますか。
律子:Abox は「写真をちょっとやったことがある。」「自分の写真には何か足りない。」
っていう人には、本当にベストな良い場所だと思っています。とにかく2人の先生に講評してもらえるのは良いです。
クラスメイトにも支えられましたね。お互いちゃんとリスペクトし合って、刺激をもらえるっていうのは良い環境です。
松龍:きっとAboxに通ってなかったら、このスピード感で作品は作れなかったよね。課題や作品の提出の締め切りがないと、どんどん日常に流されてく。ちょっと難しいからと言って、作るのが遅れているうちに他の人に似た作品を発表されちゃって「先にやられちゃった」で終わっちゃいますからね。
律子:そうですね。他の展示の計画も入ってきちゃうんで、それだけに気持ちを取られて、新しい作品を追い込むことに集中できなかったかもしれないですね。
高崎:今の発言は本当に「作家らしいな」と思うんですね。冒頭に「過去にどのくらい展示なさいましたか?」って尋ねましたけど、写真家としてもう発表のペースが成り立っているっていうことですよね。素晴らしいです。
とりあえず今このシリーズ一つをまとめ上げて大仕事が一段落ついたところなのでしょうけれど、次の作品は何か構想がありますか。
律子:はい、もうやりたいことはたくさんあるんです。
高崎:それは、いまの作品と全く違うものですか
律子:表現方法は全く異なりますが、根本的なところは一緒です。
高崎:現代作家の面白いところは、次回作も期待できるってところですから楽しみですね。
写真新世紀の展示も楽しみにしています。今日はお忙しい中ありがとうございました。
律子:こちらこそありがとうございました。
松下 律子
ritsuko matsushita
神奈川県横浜市生まれ。神奈川県横浜市在住。
2013年より本格的に写真を学び始める。
「すべての物質には実体がなく、流動的な状態のほんの一時の姿であり、常に変化していく」
私はその考えから逃れることができません。
「それ」はいつから「それ」でありいつまで「それ」であり続けるのか?
私はそんな疑問を表現したく作品を制作しています。
URL
【 主な作品 】
「いつか宇宙に還る」
「Psychopath」
「Melodies」
「Ēlysion」
「宙と墨2/2」
「Legacy」
【 受賞歴 】
写真新世紀2019 佳作
CP+御苗場2018横浜 ゲッティイメージズノミネート
CP+御苗場2016横浜 来場者が選ぶ私の一点賞2位
CP+御苗場2015横浜 横浜市長賞グループ賞ノミネート
【 展示 】
2019.06. Abox Photo Academy写真展2019
2019.02. CP+御苗場2019横浜
2018.12. 安達ロベルト写真講座受講生写真展「KONTRAPUNKT」
2018.11. グループ展 「Original Blend」
2018.03. CP+御苗場2018横浜
2017.08. 安達ロベルト写真講座受講生写真展「 À Chloris 」
2017.02. CP+御苗場2017横浜
2016.02. CP+御苗場2016横浜
2015.02. CP+御苗場2015横浜
※CP+御苗場にはユニット(maturyu & maturi-co)で出展
【 出版 】
NEW JAPAN PHOTO ISSUE.1 (EINSTEIN STUDIO)
自費出版「あえか」
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