前回のブログにも書いたがAboxは「写真教室」なのだが、受講生の中には伝統的な「写真」というカテゴリーからは、発想や行動が、一つ上のレイヤーになって作品を制作している人が、このところ多くなってきた。
写真は作家にとってもう絵具なのだ。
それも一つのチューブに入っているだけ(例えば赤)。ほかのチューブには、音楽やら彫刻やら絵画、コミック、そして、空間表現やら文学やら陶芸、はたまた、IT(生成AI)などあらゆるジャンルの表現手法が入っている。
作家は、そんな絵具を使って作品を描いているのだ。
階段を上がったときに見える風景の呼び名をなんと呼べばいいのかわからないが、名前がないからこそ、面白い(”メディアアート”ですら、写真と同じ階にいる気がする。)
最近観にいった展示会にて気になった作品で、画像生成AIを使った。作品を発表した、赤尾さんの作品を引用する。日々進化している生成AIにプロンプトを投げて”LGBT”の映像を出力させ、それを小さくビットの要素のように切り、手で貼り付け、目の部分をペンでゴールドに塗りつぶすという作品だ。
過去のドイツ現代写真の流れに影響されながらも、2023年の今この時点での作品になっており、そして、写真はすでに、「絵具」と化し「作品のドット」のようにふるまっている。新印象派がうまれたスーラーの時代の流れを、2023年に感じているがごとくの作品である。※赤尾さんはAboxの受講生ではありません。
一方で旧来のすでに世の中で「写真界において」一定の評価を受けてポジション(ヒエラルキー)が確定している人々(作家もだが、批評家やらの周辺にいる方々も)は、写真という円(平面概念)を広げていこうとしています。絵具のチューブの中・外の話をされます。また、ヒエラルキーを得ることが目的の作家は、ヒエラルキーが確定しているカテゴリー(写真界)で勝負をしたがります。
もちろん、”作品を作るのに絵具は必要であるが、絵具の粒度、発色、階調、産地、素材などはどれだけ重要なのだろう。”
とこのところ、読んだり、聞いたりして感じている。
改革は中心ではなく周辺から起きるというのは、まさにこのことなんだと思うし、いま、そこにライブで目撃できているし、参加していることは、なんとも、楽しいく、刺激あることだと思う。
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