写真教室 Abox Photo Academy Art雑感
先日、アート仲間と反町のギャラリーで飲み会をした。
もうだいぶ時間がたったのだが、原美術館でやったソフィ・カルの展示についての議論になった。
嫌い派は、自分の中にある人として嫌いな部分に気がつかされ、それを戦略としてアート表現に用いているところがあざとく、パーソナリティーが嫌いと主張。
僕は興味がなかった。だらだらと、誰が好きとか、嫌いとか文字が書いてあり、写真も対していいのがないし、順番を指定されて観ないと意味が通じないとか、もう、めんどくさ!
って感想だった。
がこの議論を聞いて、ああそうか、土足で人の心の中に踏み込んで人間の本質を突きつけている作家だったのか。と少し関心した。反発されてでも人の心に何か種を蒔いていてアーティストとしてはたいしたものだなと。
そして、これらを、一体どこまで計算してやっているのか、そこまでもが興味がゆき議論になっていた。
女子が集まる飲み会のネタとしては盛り上がる。
一方先日ルーニーで開催された、nobuyuki robert adachi の水彩画の個展作品についての話題になった。 「惑星をさがす Finding a Planet」
展示会のテーマは宇宙のどこか別の所にある惑星の風景
ということで、景色として観たことのあるような無いような、浮遊感のある作品群だったのだが
その作品をみたときの感想が3人で、
あれは、未来のいつかの惑星に感じた
いや今、この時に同時に別の場所に存在するどこかの惑星と感じた
いやいや、太古の過去に存在した惑星に感じた
と3様であった。そもそも、時間のことはまったく言及されていないが
ともかく鑑賞者が時間をはっきりと感じているということ
そしてそれが多義性があり、受け取りの幅がとても広いということがおもしろかった。
写真新世紀の受賞作品となったritsuko matsuhitaの ”いつか宇宙に還る” も鑑賞者にとても幅広い感想を抱かせる。
恐怖感、宗教っぽい、悲しい、私もその感覚在る。などなど、そして、砂の色についても、いろいろと感想がかえってくる。
この時は3人とも座禅をするのでその感覚について議論し、
集中があがり雑念が無くなってくると”自分の指と世界の境界が曖昧になる”よね。
これって幼いころにもう禅的解脱ができていたのでは?などの話になった。
まだ、禅の話までたどり着いた人は居なかったようなので本質まで到達した感があった。
この先も多くの人に見てもらえるチャンスがあるので小さきもの達に感想を聞いてみたいものだ。

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