カメラもどれだけ被写体に対して記録できるかという面と自分の内面や問題に対して自己表現をするかという2つの流れができたようにAIも既知のキャラを簡単に作れるかという面と見たことのない新たなモチーフの創出という2つの流れができて、そこに自己表現の幅が加速される。
カメラとレンズをお金を使って入手し、ネットで撮影情報を調査して、その場所にいって、シャッターを切る。それは収集欲を満足させる。「撮れた」ことを確認したときに、脳内にエンドルフィンが充足される。被写体はあらゆるものが対象となる。これは「狩り」の本能を刺激していると思われる、当然ながら圧倒的多数がこちらにいる。
ごく少数派が、何を表現したいのか、自分は誰なのか、なぜ、その問題に向き合うのかを考えたあとに、どうやって表現するかをカメラなどの道具を使って表現しようとしている。
ゴーガンの絵画タイトルにもあるが、「自分は誰で、どこに行こうとしているのか?」を探求する人々である。
AIを使って画像を生成させるのとカメラを使って画像を生成させるのに、この人々にはもはや違いはあまり無くなってきている。もとももと、単なる装置として使っていたのだから、それはそうだろう。
今の潮流として、カメラが高度に工業製品化され、撮影対象の被写体がデジタル情報として共有されているので、結果としての画僧に、差が生じにくく、ラストフロンティアとなっているのが「身体性」として、手仕事を画像に”付加”している。
これらのAI画像をみていると、「思考の自由さが強烈に促進され身体性を置き去りにてゆく」という感覚になる。そして、記事にもあるように今AIは途上なので、今日の生成物は上書きされて失われてゆく。失敗した撮影データをカメラからすぐに削除してしまうのと同じだ。が、その価値は未来にならないとわからない。
今回はAIについて、興味深い記事を見つけたので引用して紹介する。
From the project "Another America" © Phillip Toledano
この記事にあることを、Aboxの授業では、それぞれの受講生にむけて投げかけて
各自思考を広げていく。
問1:
”AI の面白いところは、良いものを作るのは非常に簡単ですが、素晴らしいものを作るのは非常に難しいことです。”
”それはあなたが望むものとまったく同じではありませんが、それはあなたが望むものに非常に近いものであり、そのような弾力性を許容する必要があります。”
つまり、作家はこれまで、細部にわたってこだわって制作しているが、そこが甘い。ということについて、どう考えるのか。とか
問2:
”AI について私が気づいた面白い点は、ある意味、写真を作るときよりも意識的に AI について考える必要があるということです。”
これは、意図しなくても写ってしまうものがこれまでの写真にはあり、その偶然性が面白いとされてきた面がある。(ときには完全にセットアップしてあったとしてもだ。)それを指示するのは作家であり、作家の知識を超えることはない。が、それはパーソナリティーが表現されていると考えるか。とか
問3:
”AIに馬を男性の上に横たわらせ、路上で男性を押しつぶす動作をさせようと試みてきました。そして、それは思いつかないと思うので、それは実行されません。そしてそれは興味深いことです。”
これは創造性についての、コメントです、見たことも聞いたこともない現象については映像化できないのが現時点でAIだが、一方で猿がスーツを着ている映像はすぐに生成できる。
この境界について新しい創造性の可能性があると考えるか。とか
などを1時間程度行って思考の幅を広げて各自の作家性を強化してゆくゼミがある。
読者の皆さんも考えてみてください。
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